MSN MOVIE SPECIAL 『スウィーニー・トッド/フリート街の悪魔の理髪師』特集

ビクトリア朝ロンドンで復讐に燃える理髪師を描くミュージカルを、ティム・バートン監督ならではのポップな美学と、ジョニー・デップ独特のユニークな熱演で映画化した話題作「スウィーニー・トッド/フリート街の悪魔の理髪師」! これが6回目のタッグとなるバートン監督とデップのこれまでの交流、そして今後をチェック! さらに本作の必見ポイントから製作舞台裏までを大特集!

 
 日本公開までの長い道のり
1.バートンと「スウィーニー・トッド」との出会いは学生時代!

 バートンと「スウィーニー・トッド」の出会いは、彼が学生だった19歳の頃に滞在したロンドンでのこと。バートンは当時のことをこう語っている。「スティーブン・ソンドハイムのことは何も知らなかったけど、ポスターがクールで、おもしろそうだった。舞台を見てみたら、映画にはないおもしろさがあった。ミュージカルのファンではなかったけれど、古いホラー映画みたいで気に入った。それに音楽の美しさと古いホラー映画を思い起こされるものが同居していたし、ステージで血が飛び交っていたからね。気に入って2回も見たんだ」。

2.「スーパーマン」企画始動のため「スウィーニー・トッド」は中断!

 その後、「バットマン」で監督としての成功を収めたバートンは、「スウィーニー・トッド」を映画化したいと考えて、舞台版の作者スティーブン・ソンドハイムに映画化の企画を持ちかける。ソンドハイム曰く「映画化を打診してきたのはティムだけだった」そう。そして、96年~97年頃にはワーナー・ブラザースで製作準備を進めるが、その頃、ニコラス・ケイジを主演に迎えた「スーパーマン・リブズ(原題)」の企画が始動、バートンは「スウィーニー・トッド」から離れてしまう。結局、「スーパーマン・リブズ」は頓挫し、「スリーピー・ホロウ」を撮ることになるが、その間にもバートンの「スウィーニー・トッド」への情熱は失われなかった。01年にバートンは南フランスのジョニー・デップ宅を訪れ、彼に「スウィーニー・トッド」の舞台版のCDを渡しているのだ。彼はいつか再び「スウィーニー・トッド」に携わる、その時に備えていた。

3.サム・メンデスの降板でティム・バートンが監督に!

 今回の映画化が本格的になったのは、05年頃、バートンがパラマウント製作のジム・キャリー主演で風刺漫画家で探検家だったロバート・L・リプリーの半生を描く「ビリーブ・イット・オア・ノット!(原題)」の製作が難航していた時期。本作は、脚本の改稿が重なり、一時中断になる。ちょうどその頃、パラマウントはドリームワークスSKGの実写部門の子会社化するが、その時「スウィーニー・トッド」の映画化権を持っていたのがドリームワークスSKG。しかも当初、監督に予定されていた「アメリカン・ビューティ」のサム・メンデスが降板し、企画は宙に浮いていた。ちなみにその時、主演に予定されていたのはラッセル・クロウだったそう。そこで、バートンは同じパラマウントの「スウィーニー・トッド」にシフト。念願の企画を再度スタートさせることになる。バートンが「スウィーニー・トッド」を監督することは、06年8月に正式発表された。

4.ジョニー・デップがスウィーニー役に決定!
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