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green 和ころじー ストップ温暖化 エコライフ始めよう
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映画に見る環境問題 ハリウッドセレブの環境活動から環境問題をテーマにした映画まで、映画にまつわるエコな話を紹介。映画を通して環境問題を考え、地球にやさしい生き方を実践してみよう。

ハリウッドセレブはプリウスがお好き?

映画の祭典アカデミー授賞式の日、ひと昔前はロサンゼルス中のリムジンカーが借り出されたものだ。ビッグナイトが始まる前、ハリウッドにあるコダック・シアターの前の長いレッドカーペットには、ハリウッドスターを乗せたロングリムジンが次から次へと到着する。ところが、エコ・コンシャスを標榜(ひょうぼう)するハリウッドセレブが増えてきて、その足はハイブリッド車に取って代わってきた。
2003年のことだ。アメリカの環境保護団体“グローバル・グリーンUSA”がアカデミー賞授賞式へ参加するスターたちに、レッドカーペットに乗りつける車を貸し出すと呼びかけたのだ。その車はトヨタのプリウスだった。1997年に世界初のハイブリッドカーとしてトヨタが世に送り出した、電気自動車とガソリン車の性能がミックスされた低燃費車であり、排気ガスは従来の約70%減と地球にやさしい。
プリウスで到着したセレブたちはエコ・コンシャスな人間だと一躍認知された。また、レッドカーペットの華やかな写真の背景に映し出されたプリウスの名前を大々的に広めた。
ハリウッドセレブは、フェラーリやベンツのようなスポーツカーに加えて、エコロジーへの意識の高さを表明するツールとして、こぞってプリウスに代表されるハイブリッド車を買い求めるようになった。レオナルド・ディカプリオ、ブラッド・ピット、オーランド・ブルーム、ニコール・キッドマン、シャリーズ・セロン、ハリソン・フォード、ジャック・ニコルソン、ロビン・ウィリアムズ、トム・ハンクス、ユアン・マクレガー、スティーブン・スピルバーグ…。セレブたちは公式の場に必ずといっていいほど、ハイブリッド車で登場している。それが今の流行だ。

地球温暖化対策の“騎士”ディカプリオ

レオナルド・ディカプリオほど、地球温暖化対策のために活動しているスターはいないだろう。3台のプリウスを所有する彼は、友人のキャメロン・ディアスにプリウスを薦めた張本人でもある。05年ごろに日本のテレビで放送された、彼が出演したプリウスCMは“シナジー・ドライブ”という彼の地球環境への取り組み方を的確に表現していて大きな話題になった。また04年の米大統領選では、公式的に民主党ジョン・ケリー候補の支持へ回り、環境問題に無策なジョージ・ブッシュ政権へ批判する演説を全米22州で行っている。
言動だけでなく行動で示すのが、いかにもディカプリオらしい。05年夏にはカリブ海に浮かぶ104エーカー(0.4平方キロメートル)の島を買い、再生可能エネルギー資源を活用した地球環境にやさしいリゾート地にする計画を立てている。彼はまた、ハリウッドでいち早くメキシコやアマゾンの広大な土地に植樹する事業活動をした先駆者でもある。これは、自らが生活や活動によって排出される二酸化炭素を、植樹された森林の木々によって二酸化炭素から酸素に変えて相殺するという“カーボンフリー”の発想に基づいたものだ。さらに彼は『ザ・ビーチ』の撮影現場が04年にスマトラ沖地震に伴う津波被害に遭うとユニセフを通じて募金を呼びかけた。05年8月にメキシコ湾岸がハリケーン“カトリーナ”の被害に遭ったときも、NBCの被害者救援テレソンで視聴者に義援金を呼びかけた。
こうした人道支援への積極的な活動は何もディカプリオだけに限ったことではなく、ハリウッドスターなら誰もが参加するものだ。人の命は地球よりも重いのである。

ドキュメンタリーが描くエコロジー問題

こうしたエコロジーを題材にして正面から取り組みやすいのは、ジャンルとすればドキュメンタリー映画だろう。マイケル・ムーア監督の『華氏911』(04)は世界中で商業的成功を収め、ドキュメンタリー映画ブームに拍車をかけた。そこに来て、近年のハリウッドにおけるエコロジーへの意識の高まりだ。ドキュメンタリーの映画作家たちにとって、エコロジーをテーマにしやすい土壌ができ、最近はアカデミー長編ドキュメンタリー賞にノミネートされるような秀作が生まれている。
フーベルト・ザウパー監督作品『ダーウィンの悪夢』(04)は、グローバル経済に取り込まれたアフリカの小国タンザニアにある巨大なビクトリア湖の生態系を題材にしている。かつて多種多様な生物が生息し、“ダーウィンの箱庭”と呼ばれたその湖には、半世紀ほど前に外国から肉食魚“ナイルバーチ”が持ち込まれ、在来魚を食べ尽くし、生態系を完全に破壊してしまったのだ。湖畔の村の人々は漁業を営み、“白身魚フライ”の原料として日本など海外に売られることで富がもたらされるが、すさまじい貧富の格差も生まれ、貧困やエイズやドラッグが蔓延(まんえん)しているという悪夢のような現実を突きつけた。恨むべきはグローバル経済の“南北問題”なのだ。

『不都合な真実』から

『不都合な真実』から

デイビス・グッゲンハイム監督作品『不都合な真実』(06)は、もっとストレートにエコロジー問題に踏み込んだドキュメンタリーだ。地球温暖化の危機を提唱してきたアル・ゴア元米副大統領によるスライド付き講演を収めたもので、彼自身の私的エピソードも盛り込まれ、ワンマンショーのような内容だった。過去の膨大な気象データをもとに、温暖化の影響を受けて大きく変化した自然が映し出される映像は見るからに衝撃的で、彼が力説する「地球温暖化対策は政治の問題であり、モラルの問題」という意見に合点がいく。
この『不都合な真実』は07年アカデミー授賞式で見事オスカーを受賞した。受賞スピーチをしたアル・ゴアは、次期大統領選挙への立候補宣言のスピーチ原稿をポケットから取り出す“演技”で会場を湧かせた。また、アル・ゴアとレオナルド・ディカプリオが2人そろって舞台に登場し、その夜の授賞式が省エネ基準にのっとって制作されていることをアピールした。2人を起用したことで、ハリウッドは深刻な環境問題を無視していないと暗黙に訴えたというわけだ。その一方で、地球温暖化の原因となる温室効果ガス6種の削減目標を設定した“京都議定書”(1997年12月制定)にいまだ非調印のままである数少ない先進国アメリカの問題を強く非難している。

P・K・ディックが夢見た近未来の環境

興味深いことに、京都議定書制定の前後で、映画の中に描かれる環境への意識が微妙に違うことに気づくはずだ。一例として、フィリップ・K・ディック(1928-82)の小説を原作にした有名なSF作品で比較してみる。
ディックが亡くなった1982年に製作されたリドリー・スコット監督作品『ブレードランナー』は、カルトSF映画の金字塔的作品だ。原作『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の舞台は、第3次大戦後のサンフランシスコだったが、コンセプチャルデザイナーのシド・ミードとスコット監督が創出した世界観は、のちにウィリアム・ギブソンによって“サイバーパンク”と呼ばれた終末観あふれた2019年のロサンゼルス。東洋と西洋の文化が入り乱れた雑居文化都市になっている。地球環境は悪化の一途をたどり、都市には絶えず“酸性雨”が降り注いでいるありさまだ。月面のような過酷な開拓地である地球外基地へは、ほとんど人間と外見が変わらない人造人間“レプリカント”が作業員として駆り出され、地球はすみかを地球外に求めている。

『マイノリティ・リポート』から

『マイノリティ・リポート』から

同じディック原作の『少数報告』の映画化、スティーブン・スピルバーグ監督作品『マイノリティ・リポート』は2002年に製作されている。物語の舞台は、個人情報が高度に管理された2054年のワシントンD.C.だった。予知能力者が登場し、「未来は変えられるのか?」というSF映画普遍のテーマが底流に流れているが、スピルバーグが導き出す結論には少し希望の光がある。都市部ではビル群を縫うように未来の車が縦横に走るシステム化したクルマ社会だが、トム・クルーズを乗せた車がワシントンD.C.郊外へ行くと、まばゆいばかりに自然が残っている。その車はトヨタ・レクサスの2054年型ハイブリッド車だった。

映画は環境問題への警鐘を鳴らし続ける

『ハッピー フィート』から

『ハッピー フィート』から

つい最近公開されたジョージ・ミラー監督のアニメーション『ハッピー フィート』は、南極のペンギンたちが歌い踊るミュージカルだが、アニメとバカにするなかれ。 “お守り”(缶ビール用プラスティックキャップ)が首にはさまって苦しむイワトビペンギンが登場したり、南氷洋の魚を獲りすぎている“エイリアン”(人間)が登場したり、環境問題への警鐘のような断片が盛り込まれ、皮肉でいっぱいだ。南極の氷は年々溶け続け、海は地球のあちこちから流れ着いたゴミでいっぱいなのだ。それだけに、大団円のペンギンたちによるタップダンスは地球規模の環境保護を訴えたもので、ただただ感動するばかり。

『アポカリプト』から

『アポカリプト』から

間もなく公開されるメル・ギブソン監督のアクション巨編『アポカリプト』(6月16日公開)は、メキシコのマヤ文明後期の熱帯雨林のジャングルを舞台に“人間狩り”を描く。豊かな自然の中で平和に暮らしていた狩猟民族の青年は突如襲ってきたマヤ帝国の傭兵(ようへい)によって連れ去られるが、村に残してきた妻子を救うために逃げ出し、“狩り”の獲物にされながらもジャングルをひたすら逃走する。そのスリルに体内の血が沸騰するが、それにも増して、サブプロットとして触れられた環境問題へのメッセージが痛烈なのだ。マヤ帝国はスペイン人侵略者によって破滅したわけでなく、高度なマヤ文明を保持するために繰り返した森林伐採が“自滅”への道の要因になったと結論づけている。マヤ帝国の首都には神殿、宮殿、記念碑などの建築物が居並んでいる。それら建造物を造るのに必要な消石灰1トン(漆喰(しっくい)は塗り壁の材料)当たり森林の樹木5トンを消費し、燃やさなければならなかった。森林の伐採が進むと、周辺の畑にも悪影響をおよぼして有機物の堆肥(たいひ)が不足し、増大した人口をまかなうだけの農作物が取れなくなったのだ。たかが森林伐採だが、ひとつの文明を滅ぼすほどに環境を激変させるらしい。

エコロジー問題の大いなる矛盾

『キング・コング』から

『キング・コング』から

このように見方によっては、いかようにも映画の中に環境問題を感じ入ることができる。
人類が神聖な自然に手を出すとロクなことはないと訴えたのはピーター・ジャクソン監督の『キング・コング』(05)だった。“文明”から隔絶された南海の孤島ドクロ島から、世界の中心都市ニューヨークに連れて来られたコングが、石油エネルギーによって煌々(こうこう)と輝き、“不夜城”と化しているマンハッタンの中心エンパイヤステート・ビルで死に絶えるというのは皮肉だ。(電気を食う)摩天楼のビル群を破壊し、沿道を走る(排気ガスをまく)車を次々となぎ倒し、襲ってきた(燃料を食う)戦闘機にまで牙をむいて暴れた後の傷ついたコングの目には、人間の文明に“生けにえ”にされた悲しみが宿っていた。
エコロジー問題の最大の矛盾は、いまわれわれが石油に依存している“文明”と根本から縁を切ることができないことだ。すばらしい傑作『キング・コング』だって、コングをコンピュータ・グラフィックスで動かすのに、どれほど石油から生まれた電気を使ったことだろう。ディカプリオだって排気ガスは少ないながらも毎日車には乗るだろうし、アル・ゴアだってジェット機で世界へ遊説して回るだろう。この筆者の私だってコンピュータなしにこの原稿は書けないのだ。ただし、個人のモラルレベルで、地球にやさしい生き方を実践することは可能なはずだ。

(文:佐藤睦雄)

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